一点突破が全体突破
どーも、オトコマエです。
今日は、自分という限られたリソースを「授業」に全振りするほうが効率いいよ、みたいな話をしたいと思います。
やんなきゃなことっていっぱいあるよね・・・
人生を仕事とプライベートとに分けるとすると、考えなきゃいけないことっていっぱいあります。
学校の仕事でいえば、クラスの子で調子が悪い子がいれば気になるし、自分担当の行事があればそのことも常に頭のどこかにあります。その中で週25時間くらいの授業もやります。
プライベートでは、子供のことだけでも勉強やスポ少、友達関係とかあるし、親の健康のことや親から頼まれたこと、暮らすうえでは食事のこと家具を新しく買い替えるか、町内会やPTAと挙げればキリがありません。
でも自分というリソースは限られているので、なるべく全部をソツなくこなそうとすると何かすごくできるものは身につきにくいです。
前回投稿したような何かに夢中になる余裕がなくなってしまうわけです。
突出する方が波及効果で全体的にうまくいく
そこでよく言う「選択と集中」です。
我々教員の選択すべき一番は授業であるとします。
新しい家具のことも、町内会のことも、効率のいい仕事術もなるべく無視します。
そうすると時間ができちゃって、「さて、何やるか」となった時に授業にいくしかなくなります。
教員という仕事で考えてみても、
・全体的にそこそこできる人
よりも、
・全体的にはイマイチなんだけど、ある部分が突出している人
の方がバリューがある感じがします。
というか、ある部分が突出していると、そのほかの部分もそれなりに身に付きやすくなるのかなーと。
例えば、学級経営がすごくうまい先生だと、クラスの子の挨拶が素晴らしいとか、委員会活動でもとてもよく働くとかの状態になっているかと思います。
授業に全振りしている場合は、そこらへんを強化することはできていないかもしれませんが、授業が面白いので先生が信頼されます。すると、子供が素直に聞いてくれるので単に「挨拶を頑張りましょう」と言っても、それだけで少し挨拶が良くなったりします。
授業がつまらない先生がすごく論理的に挨拶の大切さを説いて言ったとしても、そこら辺が子供に素直に入らなくて「なんで言ったのにやれないんだ」と怒っちゃうことになる可能性もあります。
よく言う「何を言うか、ではなく、誰が言うか」みたいな話ですね。
結論としては、いい授業をしている方が結局はコスパがいいと言うことです。
なんでも簡単にそこそこできちゃう
問題なのは、いま情報を得るのがすごく簡単になっているし、ネット情報も雑誌とかも面白いので、時間つぶしにずっと見ていられちゃうってとこです。悪いことにそれで自分が簡単にちょっぴり賢くなれるし、いい家具とかも手に入るし、町内会の仕事もエクセルとか使うとスマートにできてありがたがられます。
物欲とか承認欲求も満たされるのでつい時間を使って力を出してしまいがちです。
でも、やりません。
そこがポイントかなと。
「やれるんだけどやらないこと」を決めて、それを我慢できるかが勝負の分かれ目です。
あ、でもそれでもやらなきゃなことももちろんあります。クラスの子の悩んでることはちゃんと対応して解決してあげないともちろんだめだし、保護者対応とかは初期対応の大切さが後々問題が大きくならないコツです。家族の健康面とかも最優先事項だと思います。
そんな感じで、自分の力の無さがわかってるので、やらないことを決めてやることに全振りしたいなーと思ってるって話でした。
ではでは、また。